自分の設計で他人に試作してもらう、というのは、なんともいえないプレッシャーを感じるものになる。
スーパープライEp-Zの場合は、すべて私の設計ではなく、藤沢淳氏の設計と実績をベースに主翼を楕円翼に変更したものになるので完全なオリジナルではないのだが、それでもプレッシャーはすごい。
「うまく飛ぶのだろうか?」「設計の意図どおりに性能を発揮するのであろうか?」「性能が劣化してしまったら元設計者の藤沢淳氏や飛行させるRc-Airplene氏にあわせる顔がないよな」
なんて、ついつい弱気になってしまう自分がそこにいた。
なんて、ついつい弱気になってしまう自分がそこにいた。
模型飛行機の楽しみ方としては、自作自設計という楽しみ方がある。
自分で設計して、自分で工作し、自分で飛行させて評価することが王道になるのであろう。
これであれば、「うまく飛ばないのでは?」というプレッシャーは自分で実践するのだから自分で克服することも消化するのはたやすい。
まあ、工作や飛行の負担が発生するが「模型」なので、ある意味たやすい。
失敗したのであれば、失敗を振り返り、もう一度やり直すことも可能だし、試行錯誤するのも自分の世界で閉じることができる。
自分で設計して、自分で工作し、自分で飛行させて評価することが王道になるのであろう。
これであれば、「うまく飛ばないのでは?」というプレッシャーは自分で実践するのだから自分で克服することも消化するのはたやすい。
まあ、工作や飛行の負担が発生するが「模型」なので、ある意味たやすい。
失敗したのであれば、失敗を振り返り、もう一度やり直すことも可能だし、試行錯誤するのも自分の世界で閉じることができる。
今回、スーパープライEp-Zプロジェクトでは、私の立場は設計したのみで工作して飛行させるわけではない。
飛行機の設計というのは、実は、「実際に飛行させて始めて性能を確認できる」という要素が多い。
案外、科学者が設計したのだから、すべて計算されつくされていて問題はないだろう、と考えられるフシもあるがそうでもないように思う。
飛行機の設計というのは、実は、「実際に飛行させて始めて性能を確認できる」という要素が多い。
案外、科学者が設計したのだから、すべて計算されつくされていて問題はないだろう、と考えられるフシもあるがそうでもないように思う。
とは言うものの、あくまでも戦時中のお話であるが。
戦時中の戦闘機の開発では、テストパイロットという職業があった。
当時のことなので墜落すれば命を落とす可能性が高い職業になる。
実際、何人もの方々が試験飛行中に亡くなられている(ご冥福をお祈りいたします)
なぜそのような無茶な職業を選んだのか?というのは、私もお話を聞いてみたいところだが。
当時のことなので墜落すれば命を落とす可能性が高い職業になる。
実際、何人もの方々が試験飛行中に亡くなられている(ご冥福をお祈りいたします)
なぜそのような無茶な職業を選んだのか?というのは、私もお話を聞いてみたいところだが。
ただ、はっきり理解できることは、
「覚悟と決意を持って勇気を示してゆきたい」
という強い意志があったことは確かに思うし、そうであって始めて事故にあわずに生還できることになるのだろう。
それでも事故により亡くなられる方もいらっしゃることも確かだろうが。
少なくとも覚悟もなく決意もなく勇気もなく試作機を飛行させた場合、ほとんど墜落事故になることは明白であろう。
「覚悟と決意を持って勇気を示してゆきたい」
という強い意志があったことは確かに思うし、そうであって始めて事故にあわずに生還できることになるのだろう。
それでも事故により亡くなられる方もいらっしゃることも確かだろうが。
少なくとも覚悟もなく決意もなく勇気もなく試作機を飛行させた場合、ほとんど墜落事故になることは明白であろう。
そういった意味では、私の設計に対してRc-Airplane氏は「覚悟と決意を持って勇気を示す」ことを、無言ではあるが実践していただいていると解釈できるし、非常に感謝しているところでもある。
暖かく見守っていただきたいと思う。
スーパープライEp-Z の工作記事